いつまで経っても言葉を発しないその口に、小夜は苛立った。



射干玉の闇に光ふたつ 二十四



政宗の側仕えとして、城で働く毎日が始まった。
とはいっても、仕事をしたことが無く、力の弱い小夜に出来ることは限られている。
日の昇る前に起床し、城内を女中達と掃除し、政宗に朝の挨拶をし、茶を用意し、時折話し相手をし、日が沈む頃に就寝する。
転丸から書類整理の仕方を習い、時折顔を出す成実と言葉を交わす。他の小姓や女中たちとも、少しずつだが話をするようになっていった。
皆、初めのうちは小夜をいぶかしんでいたが、真面目に仕事に取り組む姿に、徐々に警戒心を解いていった。
そんな日々を過ごす中、小夜を悩ませる事柄があった。


小夜が茶を入れ、政宗に断りを入れてから室の襖を引くと、その男は居た。
少しだけ肩が跳ねたが、なんでもない風を装って、中に入る。
男、片倉小十郎は小夜の動向をじっと見ている。

「Thank you、小夜。」

茶托を政宗の傍に置けば、南蛮の言葉をかけられた。おそらく、労いの言葉だろうと推測し、小夜はいつもの言葉を返す。

「勿体のうございます、政宗様。」

政宗は満足げに笑い、茶に手を伸ばす。小夜もうすく笑みを浮かべる。
仕事始めの日に、殿様、と政宗を呼べば、即座に訂正された事を思い出す。

『No!政宗だ!』

奥州筆頭の諱を呼ぶなど考えられず、失礼いたしました、筆頭様、と言い直せば、それも否定された。
政宗曰く、小夜に肩書きで呼ばれるのは抵抗がある、との事だった。理由を聞いても、いいから政宗と呼べ!、と押し切られ、今に至る。
その場に居た小十郎は、何も言わなかった。

そこまで思い返し、小夜は心のうちで溜息を吐く。
小十郎が何も言わないのは、その時だけではなかった。その後も、自分の前ではほとんど口を聞かない。
時折政宗と言葉を交わす他に、小十郎は至極無口な男だった。

当初小夜は、小十郎が転丸のように仕事以外で無駄口をしない性質なのだ、と思っていた。
しかし、その考えは直ぐに覆された。城内で家臣や女中と雑談する小十郎の姿を何度も目撃したからだ。
そういう時の小十郎は、柔らかい表情をしていることが多く、声を立てて笑うのも耳にしたことがある。
だが、その姿を近くで見ることは、小夜には叶わなかった。
何故なら、小夜が近付くと、小十郎は直ぐにその顔を硬くするからである。
そして、何も言葉を発さず、じっとこちらを見る。
話し相手は皆、急に口を閉ざした小十郎を怪訝そうに窺うのを見て、小夜はこれが小十郎の常態ではない事を思い知らされる。
居た堪れなくなって、いつも俯いて足早に小十郎の前を去るのが、小夜の常であった。

―また、見てる。

小十郎の目線から逃げるように、俯く。握り締めている自分の両の手が眼に映る。
あの目が、小夜はひどく苦手だった。
小十郎は口では何も言わない。だが、いつも目が何かを訴えていた。
それが小夜には見当もつかなくて、どうしていいのか分からなかった。

小夜は小十郎の目から逃げるため、早々に政宗の室を辞した。


俯き、自分と目を合わさずに出て行く小さな姿から目を離す事が出来ず、小十郎は頭を動かす。
娘が自分に怯えていることは、気が付いていた。
誰に対しても真っ直ぐに向けられるその白い面を、自分が見ることはほとんど叶わなかった。初対面で目にした黒い瞳が、自分を映すことはない。
その事に、小十郎は安堵も落胆も感じていた。自分の感情を制御することが出来ず、苛立つ。
そして、思う。

―何故ここに居るのだ。

「小十郎。」

娘の陰を追っていると、主の呼び声が耳に入った。
はっとして首をめぐらせば、自分を射るように見る政宗の目とかち合う。
その鋭さに、小十郎は居住まいを正した。

「あれは、小夜だ。」

自分が何か言う前に、主が言葉を発した。開きかけた口を閉じる。
頭の中で主の言葉を反芻する。

―さよ。

初めて、娘の名を音にした気がする。

―小夜は、アルヤ様ではない。

そう、小十郎は自分の頭に叩き込む。

黙したままの自分の右目を余所に、政宗は政務に取り掛かった。


小十郎の目が、変わった。
じっと自分を見てくるのは変わらないが、鋭さが増した。相変わらず何も言わずに。
これ以上は無いと思っていた小夜は、身を縮こまらせる。
そして、何故、と思う。
何故、自分はそんな目で見られなくてはならない。
自分はまだ幼く、十分に役目を果たしているとは言いがたいが、少しずつ出来ることは増えている。
他の城内の者は自分を認めつつあるのに、小十郎だけが反比例するかのように態度を硬化させていった。
それは他の者も気付いているようだったが、誰も何も言わなかった。自分の義父である、成実さえも。
小夜は、自分の胸のうちに凝り固まるものを、吐き出せずにいた。

小夜が廊下を歩んでいると、向かい側から小十郎が歩を進めてくるのが見えた。
仕事を終えて自分の室に戻る途中だった小夜は、廊下の端ぎりぎりまで下がり、臣下の礼を取る。
小十郎が早く去ってくれるのを願いながら、板を見つめる。
すると、大きな足が自分の目に映りこんだ。小十郎の足であった。
小夜は、驚いて上げそうになった頭を押し止め、板に視線を戻す。
両者の間には、いつも通りの沈黙が落ちる。
そんな小十郎の態度に、小夜は痺れを切らした。

「・・・片倉様、御用でございましょうか?」

自分が声をかけても、小十郎の良く通る声は聞こえてこなかった。

―もう、嫌だ。

小夜は自分のうちで泣き言を吐き、声を震わせた。

「・・・失礼します。」

臣下である自分から前を辞することは非礼に当たることを百も承知で、立ち上がってきびすを返そうとした。
が、目の前に壁が立ちふさがる。小十郎の腹であった。
小夜は驚いて見上げそうになった目線を押し止め、じっと小十郎の帯を見た。
また、沈黙が舞い降りる。
今度はそれを破ったのは、小十郎であった。

「何故、ここに居る。」

硬い、硬い声。

―やっと、言葉を発したと思えば、それか。

小夜は胸のうちで何かが爆ぜるのを感じた。


廊下の片隅で小さい身体を更に小さくする小夜に、小十郎は立ち止まった。
小夜が小さい声で自分に問いかけるが、何も言わなかった。どう声をかければいいのか、分からなかった。
耐え切れなくなったように、自分の元から去ろうとする黒髪に、思わず身体が動いた。
重い沈黙に、内心焦る。
そして、自分の頭にこびりついていた疑念を口にしてしまった。
小夜が、ゆっくりと白い面を上げる。
その少し潤む黒い瞳が炎を孕んでいて、小十郎は絶句する。

「貴方様には関わりなき事にございます。」

凛とした声が耳を震わせる。
黒髪がなびいて横を通り過ぎた。

小十郎は一人、廊下に立ち尽くした。


立待月は、まだ東の空から姿を現さなかった。

諱(いみな):実名の敬称
立待月(たちまちづき):十七日月
こじゅとオリジ主、初喧嘩。
そしてこじゅの完敗(笑)



10.12.04


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