下弦の月を背に、小十郎は駆ける。
梵天丸が元服し、政宗となった。
藤次郎様、と呼べば、No!と南蛮語で声を上げた。
意味が分からず見返せば、政宗は諱で呼ぶようにと言った。
政宗が言い出したら聞かない事は百も承知である。小十郎は嘆息し、政宗様、と言い直した。
それを聞き、政宗は口角を吊り上げ、小十郎に命じた。
「俺は前しか見ねえ。背中は任せたぜ、小十郎。」
小十郎は、身命に代えましても、と応えた。
政宗は満足げに笑み、背を向けた。小十郎は後に続いた。
輝宗が没し、政宗が家督を継いだ。
政宗を筆頭とした奥州は、破竹の勢いで領地を広げた。
小十郎は内政でも戦場でも、政宗をよく助けた。
がつっ、と土と鋼が音を立てる。
小十郎は息を吐き、周りを見渡す。辺りには青々とした菜が植わっている。
その景色に、小十郎は口元を緩めた。
小十郎が畑仕事をするようになって、もう数年が経つ。
自分の屋敷の一角で始めたが、すぐに飽き足らなくなり、百姓から土地を買い上げ、本格的に耕すようになった。
始めのうちは百姓から教えを請うていたが、近頃では対等に情報交換するまでになっている。
政宗がそれを知ると、俺は料理だ!と何故か張り切って厨に立つようになった。
その主は現在、政務に勤しんでいるはずである。
そう信じよう、と小十郎は嘆息し、汗をぬぐった。
政宗は城下町をのんびり歩いていた。
はじめは政務に取り組んでいたが、あまりに良い陽気に誘われたのである。
―ま、そこそこ片付けたしな。
小十郎は畑に出ている時分である。遅くならないうちに帰れば問題ないだろう、と自分に言い訳した。
政宗は城下に出るのが好きだった。町を回れば自分の指針が見えてくるからだ。
最近は国境で小競り合いが度々起きている。兵や民にどの程度影響が出ているか気になっていた。
盛り場を巡り様子を伺うと、少し荒事が多い印象を受けた。特に兵が荒れているように思える。
―帰ったら小十郎と話し合わなけりゃならねえな。
兵が乱れれば、当然国の守りが甘くなる。底を押さえておかなければ、上は直ぐに崩れるのだ。
対策を考えながら城へと足を向ける。色町の外れに差し掛かったときだった。
左側の茂みから何かが飛び出してきた。
政宗は咄嗟に柄に手を掛ける。
こちらに構わず走り去るのは、小柄な娘だった。
政宗が肩の力を抜くと、娘が出てきた茂みの方向から野太い声が聞こえた。
「くそ餓鬼が!」
茂みから出てきた男は、政宗を見ると一瞬怯んだが、直ぐに娘の後を追って行った。
政宗は左眉を上げた。
―見ちまったもんはしょうがねえな。
政宗は二人の後を追って駆け出した。
政宗が追いついたとき、男は娘の髪を掴み上げていた。
年端もいかない子供への手荒な扱いに、政宗は眉をひそめる。
「Hey!その手を離しな!」
政宗の声に、男は人相の悪い顔をこちらに向ける。
「ああ?・・・なんですか、旦那。かかわりないでございやしょう?」
自分に対してへりくだる態度は見せるものの、娘の髪は掴んだままだ。
その様子に舌打ちをして、政宗は続けた。
「てめえ、大方人買いか何かだろう?見逃してやるから、その娘を置いてさっさと失せな。」
政宗が凄むと、男は顔を険しくする。
「馬鹿言うんじゃねえ!この餓鬼が幾らしたと思ってんだ!」
「知るかよ。」
政宗は吐き捨てるように言い、刀に手を掛ける。
男は、ひっ、と声を上げ、娘を突き飛ばした。こちらに倒れこんでくる娘を、政宗は抱きとめる。
情けない声を上げながら、男は一目散に逃げていった。
政宗はそれを鼻で嗤い、娘を見下ろす。娘は自分の腕の中で身を固くしていた。
「Hey,girl.顔を上げな。」
政宗の言葉に、娘は頭を動かす。
その顔を見て、政宗は固まった。
漆黒の髪、黒曜の瞳。
瞳の色が違いこそすれ、娘は、かつて行ったあの森で出会った、アルヤに、瓜二つだった。
娘が眉根を寄せ、政宗から離れようとする。
政宗は、はっとし、娘を抱く腕に力を篭める。娘は本格的に身体を捩じらせ、逃げようとする。
「Wait!待て!お前、どこから来た?」
政宗の言葉を無視して、娘は政宗の腹に腕を突っ張って間を空けようとする。
それを腕の力だけで押し止めつつ、政宗は言葉を選ぶ。
「・・・親の元に返してやる。どこから来た?」
それを聞き、娘は抵抗を弱める。しかし、もがきつつ頭を横に振った。
「・・・いねえのか?」
娘は抵抗を止め、小さく頷いた。
逃げる様子はなくなったが、居なくなる不安をぬぐいきれず、政宗は娘の腕を掴んだまま、俯いている顔を覗きこむ。
「あんた、名前は?」
黒曜の瞳が政宗を映す。
「・・・うさぎ」
政宗は、眩暈を覚えた。
晴れ渡る空に、白い月が浮かんでいた。
筆頭、普通にサボってます(笑)
こじゅの畑仕事設定、大好きです!
オリジ主の名前がアレなのは一応裏設定があります。
が、それはまたの機会にでも。
10.11.20
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