何故。小十郎は慟哭した。
宵闇が迫り、そろそろ夕食の頃合となった。
小十郎は食事の準備をと、アルヤに声を掛けようとした。
仄暗い月色と目が合う。
その表情は、沈んでいた。
アルヤのそんな顔を見るのは初めてで、小十郎は息が詰まった。
嫌な予感にざわり、と胸の内が騒ぐ。
その時。
パン、と何かが爆ぜる音がした。
途端に周囲に大勢に人の気配が現れる。
「何だ?!」
梵天丸が驚いて声を上げる。
あちこちで大きな声が張り上がっている。
よく聞けば、小十郎と梵天丸の名が呼ばれていた。
森の中で灯りが蠢く。徐々にこちらに近付いているようだった。
「一体何が・・・?!」
小十郎はとにかくアルヤと梵天丸を守ろうと、二人に近付こうとした。
アルヤが、動いた。
ドッ、と鈍い音が聞こえた。
崩れ落ちる梵天丸の身体。
アルヤは梵天丸を抱えて、地に横たえた。
小十郎は何が起きているのか分からなかった。
呆然としていると、アルヤが刀を抜いた。
ゆっくりと、振りかぶる。
鋭く襲い来る刃を、小十郎は本能的に避けた。
ビッ、と音を立てて左頬が裂ける。
小十郎は痛みに顔をしかめる。
何を、とアルヤに問おうとしたが、顎がいう事を聞かない。
それどころか、体中を痺れが襲い、立っていられなくなる。
ようよう左手を上げ、傷を押さえ、がくり、と両膝をつく。
それだけでは身体を支えきれず、地に倒れこむ。
思うように動かない身体に歯噛みしながら、アルヤを目だけで探す。
アルヤは刀を放り、小十郎の傍に両膝をついた。
小十郎は懸命に口を動かそうとした。
どうして、と問いたかった。
アルヤは仄暗い月色を少し揺らめかせ、言った。
「さようなら、小十郎。・・・私を赦してくれ。」
森の中へと走り去るアルヤの背を、小十郎は見ていることしか出来なかった。
自分と梵天丸を呼ぶ声が近付いてくる。
小十郎の意識が、闇に沈んだ。
瞼の裏に月色が閃く。
小十郎は目を開けた。
はじめに懐かしい天井が目に飛び込んできた。見回せば、片倉の自分の室だった。
明るい日光が障子を照らしている。
小十郎は飛び起きた。力任せに障子を引き、廊下へ出る。
家から飛び出そうとすれば、気が付いた家人が慌てて止めに来た。
引き止める家人に構わず家を出ようとしたが、身体が思うように動かず、家人を振り払えなかった。
そうこうしている内に、騒ぎを聞きつけた景重が姿を現す。
「何をしている、景綱!戻らぬか!」
小十郎は一瞬動きを止めるが、また門を目指そうと身体を動かす。
そこに、幼さを残す声が掛かった。
「小十郎・・・!」
小十郎は、ばっ、と声の方を向く。そこには悲痛な顔をした梵天丸が立っていた。
―梵天丸様
声を出そうとして、顎が痛むことに小十郎は気付いた。
そうだ、自分は。
「・・・話がある。付いて来なさい。」
静かになった小十郎に、景重は背を向けた。
景重の室に、景重と小十郎と梵天丸が座す。
小十郎は父である景重を睨みつける。
一体何がどうなっているのか。アルヤはどうなったのか。それだけが心を占めていた。
そこで、はた、と気付く。
―何故、アルヤ様の名を覚えているのか
十六年前の事も、八年前の事も、今回の事も、全て思い出せた。
嫌な予感が心を覆う。
ぎり、と両の手の平に爪が食い込む。
その様子を沈痛な面持ちで見る梵天丸に、小十郎は気付けないでいた。
「・・・景綱、心して聞け。」
長い沈黙を破り、景重が重く言葉を発する。
「昨夜、”還らずの森”に伊達の兵が立ち入った。・・・梵天丸様をお探しするためだ。」
景重は語った。
曰く、梵天丸の命を受けた忍が、自分を探して森に入った梵天丸が数刻経っても出てこない事を只事ではないと判断し、輝宗に注進した。
輝宗は事態を重く見、景重に梵天丸と小十郎を探すように、と命じた。手段は問わず、との事だった。
景重ははじめ、家人を使って森を捜索していたが、翌朝になっても二人は見つからなかった。
昼になって輝宗が差し向けた兵が合流し、深夜まで捜索が行われた。
そして、森の中心で倒れている二人が見つかった。
そこまで言って、景重は押し黙った。
自分が知りたいのはそんなことではない、と小十郎は景重を更に睨みつける。
小十郎の鋭い眼光に、景重は深く息を吐いた。
「・・・森の中心から走り去る者の姿を見た者がいる。そして・・・」
不自然に言葉を詰まらせる景重に、小十郎は目線で先を促す。
「・・・怪しい者として、矢を射ったそうだ。」
小十郎の背が、ぞわり、と粟立つ。
「矢はあたり、兵が近付くと不思議な毛並みの・・・兎が、死んでいた。」
小十郎の手が震える。
「兵は気味が悪くなり、その場に捨て置いたそうだ。・・・まさかとは思うが、あれが」
ダンッ、と小十郎が床を叩きつけた。
頭を垂れ、肩を震わせる。
梵天丸はその様子に、耐え切れなくなって声を上げた。
「小十郎っ・・・俺が、・・・すまない・・・っ」
梵天丸の言葉に、小十郎は頭を横に振った。
ただ、激しく横に振った。
下弦の月が、青い空に白く浮かんでいた。