たとえ誰であろうと、この想いを押し止めることは出来ない。



射干玉の闇に光ふたつ 十四



手合わせの最中に、アルヤが気を逸らした。
切っ先がアルヤに届きかけ、小十郎は慌てて刀を引いた。アルヤらしからぬ振る舞いに、怪訝な顔をする。
アルヤは森をじっと見たまま動かない。何かを探っているようだ。
声を掛けようとしたとき、アルヤが振り向いた。刀を鞘に納め、以前のようにうすく笑う。

「客のようだ。連れてくる。」

そう言うと、一人で森に入っていった。
取り残された小十郎は難しい顔をして地に座り込んだ。こんな事は一度もなかったことだ。
折角の時間を邪魔された気分だ。否、邪魔されたのだ。
アルヤと共に居られる時間は少ない。その時間を割かれる事は、小十郎にとって苦痛に感じられた。
一つ、溜息を吐いて空を見上げる。この場所に一人で居るのは初めてだ。
ふと、小十郎はこの森の事を考える。

この森は、おそらく神域だ。
季節に関係なく実る果物といい、現れ消える広場といい、満月の夜に森を歩くときに掛かる時間といい。
そして、アルヤ自身の存在。
十六年前から変わらぬ姿をした娘。とてもヒトとは思えない。

小十郎はまた、溜息を吐いた。益体もないことだ。自分にとっては。


夕闇が迫ってきた頃、ようやくアルヤが客を連れて帰ってきた。その客の姿に小十郎は目を丸くする。
もはや見慣れた小さな姿。

「梵天丸様!」

小十郎の呼びかけに、梵天丸は弾かれたようにこちらに走ってくる。
突進してくる小さな身体を抱きとめる。こんな風に梵天丸がしがみついてくる事は久方ぶりだった。

「小十郎っ!小十郎・・・っ!」

断続的に自分の名を呼ぶ。肩が細かく震えているようだ。
何故ここに居るのか、何故こんなに怯えているのか、小十郎は戸惑う。
目線を合わせようとするが、小十郎の身体が動くたびに主の身体に力が入り、それもままならなかった。
少し離れて見ていたアルヤが、小屋の中に消える。アルヤの気遣いに小十郎は目線だけで礼をした。

辺りが暗闇に覆われた頃、梵天丸がようやく落ち着きを取り戻してきた。まだか細い両肩に自分の無骨な手を置き、小十郎は梵天丸と目を合わそうとする。
梵天丸は泣いてはいないものの、顔をいっぱいに歪めていた。
主の初めての表情に小十郎は驚いたが、なるべく刺激しないように声を掛ける。

「梵天丸様。何故ここにおいでなのですか?一体どうされたというのです?」

小十郎の問いかけに、梵天丸は口をぎゅっと引き結ぶと、元々俯き気味だった顔を更に俯けた。
常にない様子の主の言葉を、小十郎はじっと待った。
沈黙に耐え切れず、梵天丸が口を開く。

「こじゅ、ろうが・・・、行ってしまうと思ったから。だから忍に送らせた。」

初めはたどたどしく、後は確りと梵天丸は答えた。
小十郎は眉をしかめる。梵天丸が忍を使うなど、これが初めてだ。あまり褒められた事ではない。
しかも、自分が行ってしまう、とはどういう事なのか。
梵天丸はその様子を見て、きっ、と顔を上げた。

「そのつもりだったんだろ?!アイツについていくつもりだったんだろ?!!」

搾り出すように声を上げる梵天丸に、小十郎は更に眉をひそめた。

「梵天丸様。いかに梵天丸様といえども、アルヤ様をそのように呼ばわることは赦されません。」

たしなめられて、梵天丸はまた俯いた。悔しそうに唇を噛んでいる。
小十郎はその様子を見て、ひっそりと息を漏らした。

「何故そのように思われたのですか・・・小十郎が梵天丸様の元に戻らぬなど有り得ません。」

きっぱりとした小十郎の言に、梵天丸はそろそろと視線を上げる。
ひた、とこちらを見据える小十郎の目をじっと見返し、ようやく肩から力を抜いた。小十郎が笑いかけると、照れたようにそっぽを向く。

「梵天丸様、アルヤ様に名乗られたのですか?」

その様子を見た小十郎は、もう大丈夫だ、と判断し、梵天丸に訊ねた。梵天丸は気まずそうに首を横に振る。
「それはいけません。アルヤ様はこの小十郎にとって大切なひと。名乗りを上げていただけますか?」

小十郎の問いに、梵天丸は一拍置いた後、小さく頷いた。
梵天丸を連れて小屋に向かおうとすると、アルヤが外に出てくるところだった。手に蝋燭を持っている。
灯火に照らされて、アルヤの色濃い月色が照らしだされ、揺らめいた。
梵天丸は、ぴくり、身体をひくつかせたが、何も言わずアルヤを見る。その肩に小十郎は手を乗せた。

「・・・お初にお目にかかる。俺は伊達輝宗が長男、梵天丸だ。」

確りとした言葉遣いに小十郎は一つ頷き、アルヤを見る。
アルヤはうすく笑っている。

「アルヤだ。よく来た。」

簡潔なアルヤの言葉に、小十郎は苦笑する。昔から、アルヤは必要以上にものを言わない。
ひた、とアルヤを睨んだまま動かない主に、どうしたものか、と頭を捻る。

「夕餉にしよう。」

アルヤの言に、小十郎は食べ物の匂いがしている事に気が付いた。どうやらアルヤが用意してくれたようだ。
感謝の意を述べて梵天丸の背に触れ、小屋へと促す。梵天丸は黙ってそれに従った。
三人の食事は静かなものだった。
食事の後も梵天丸はアルヤを睨むだけで何も言わない。警戒心丸出しの主に小十郎は更に困った。アルヤはと言えば、涼しい顔をしているだけだった。

夜も更けて床に就こうとしたとき、問題は発生した。二組しかないござと、各人の寝場所についてである。
アルヤは小屋の中でござを三人で分け合って寝ようと提案し、小十郎は自分だけ戸外の地べたで寝ると主張し、梵天丸はアルヤと二人きりになるくらいなら一人で外で寝ると反対した。
頭を抱えたのは小十郎である。自分にとって二人は代え難い存在。しかもどちらも自分の考えを譲る気のない人達だ。
小十郎は知恵を絞った結果、一つの結論に達した。

「アルヤ様は小屋の中でござをお使いください。梵天丸様は私と共に小屋の外でお眠りください。もちろん、ござは梵天丸様に使っていただく。」

これは譲れない、と腕を組む。甚だ梵天丸側に寄った主張だったが、アルヤの寛大さに賭けた。
アルヤは苦笑し、それでいい、と言う。もちろん梵天丸から否定の言葉は出なかった。

満天の星空の元、小十郎はござを敷いて梵天丸を促し、その隣の地べたに寝転がる。
梵天丸は片眉を上げたが、何も言わずござにもぐりこむ。そして、真正面に見える夜空に息を呑んだ。

「夜の空ってのはこんなに光ってるもんか。」

小十郎は苦笑したが、自分も今初めて気付いた心地がした。

「今宵は更待月です。月が昇るには今しばらく掛かります故、星が一層輝いて見えるのでしょう。」

梵天丸は、そうか、と応え、星空に見入る。小十郎もそれに倣う。

「・・・小十郎は月が好きだったな。」

ぽつり、と梵天丸が溢した呟きを拾い、小十郎は、はい、と応える。

「月色はアルヤ様の目の色です。・・・忘れておりましたが、アルヤ様にお会いする時にはいつも満月が出ていました。」

梵天丸はまた、そうか、と応え、それきり何も言わなかった。

静かな寝息が聞こえてきたのを確認し、小十郎は目を閉じる。


瞼の裏には星の色よりも、月の色が輝いていた

※更待月(ふけまちづき)=二十日月
いつの間にか梵→こじゅ→オリジ主に。
この二人相手だとこじゅは振り回されるばっかです(笑)



10.11.15


十三←  →十五