別れ難いのは自分だけではないのだ、と小十郎は知った。。



射干玉の闇に光ふたつ 十一



いつものように打ち合いをし、宵闇を待ってから、アルヤは小十郎を先導した。
跳ねる鼓動が何のせいか、小十郎はもう分かっていた。手元に目をやれば、白く小さなアルヤの手。

行こう、とアルヤが言い、小十郎に手の平を向けた。小十郎は一拍置き、着物で手の平を拭ってからアルヤの手に重ねた。
初めて触れるアルヤの手は、冷たく華奢だった。

斜め先を歩くアルヤに手を引かれながら、小十郎は歩を進める。漆黒の髪に隠れてアルヤの顔は見えない。
黙々と真っ暗な森を歩く。

―ああ。

この時がずっと続けばいい、と小十郎は思った。


唐突に森がひらけ、里が見える。小十郎は反射的に手を握り締めた。手の中のアルヤの力も入った気がした。
アルヤを見れば、暗い月色がこちらを見上げていた。アルヤが柔らかく笑う。

「楽しかった。ありがとう。」

感謝の言葉は、別れの言葉だ。小十郎は更に手に力を篭める。
暗い月色がこちらをじっと見つめながら、もう一方の手で小十郎の握り締めた手の甲を撫ぜる。

「ありがとう、小十郎。」

自然と手から力が抜けた。するり、とアルヤの手がすり抜ける。
小十郎はアルヤから目を離さずに、口を開く。

「また、会えますか?」

聞かずにいられなかった。
アルヤは何も言わず、深く笑う。目を瞑り、森の闇に溶けた。

小十郎は白む空を見上げ、きびすを返し、家路についた。


家に戻り、身体を清め、父に会う。やはり、十四日が経っていた。
そして、また何も思い出せなかった。

「彼の方は何か仰られていたか?」

景重の言葉に、覚えていません、と短く答える。そして、景重がひと月半前に言った言葉を思い出したが、後の祭りだった。
景重は、そうか、と言い、また、ゆっくり休むように、と小十郎に告げた。小十郎は頭を下げ、室を辞した。

翌日、小十郎は景重に呼ばれた。小十郎に原因があった。

「・・・バサラを発したそうだな。」

景重が重く口を開く。小十郎は短く、はい、と応えた。
小十郎は家に戻った翌朝、志願して、家に仕える者の中で最も腕の立つ者と剣術の稽古をした。そこで、バサラを発したのだ。
始めは自身で驚いていたが、何度か発するうちに、ああ、と思いついた。

―彼の人だ。

小十郎は確信を持って木刀を振るう。相手の木刀が空を舞った。

「・・・軽々しく発してはならん。よいな。」

景重は一瞬黙した後、小十郎に重々しく告げた。小十郎は、はい、と頭を下げた。
室から出ていった次男を思い、景重は深く息を吐いた。


小十郎の噂は直ぐに広まった。バサラを持つものは武将の中でも少ない。案の定、直ぐに仕官するべきだ、と声があがった。
景重は黙し、小十郎もまた何も言わなかった。
毎朝、空が白む頃に木刀を振るう。この時間なら家人も少なく、じろじろと見られる心配もない。
パリ、と手の中で雷が鳴る。
小十郎は特に周りの状況に興味がなかった。この腕は、この身体は全て彼の人の為にある。
しかし、伊達の重臣、遠藤基信に声を掛けられてはいかに景重とて無視できず、小十郎は基信の元に参じることとなった。
初め、小十郎は足軽の中に放り込まれた。神職の子とはいえ、特別扱いはされなかった。
小十郎に不満はなかった。荒い扱いは初めてだったが、基信の部下達は気が置けず、むしろ動きやすかった。
家人の手伝いで培った経験を披露すれば、皆喜んで小十郎を使った。どつかれいじられ、日々を過ごす。

ある日、小十郎は足軽達から色里に誘われた。小十郎は断った。
はじめの内は、皆はまだ早いか、と引いていたが、小十郎が何度も断ると心配しだした。その内、足軽の中でもよく気のつく男が、小十郎に問うた。
好いた女でもいるのか、と。
小十郎は答えられなかった。浮かぶのは姿も名前も思い出せない彼の人。
何も言わず俯く小十郎を見て、男は言った。忘れるのも手だぜ、と。
小十郎は即座に否定した。忘れるなど、有り得ない。小十郎にとって彼の人を想う事は、既に自分の一部と化していた。
そんな小十郎に男は、辛えよな、叶わない恋ってのはよ、と呟いた。

―叶わない、恋。

小十郎は打たれたように動けなかった。
小十郎の様子を見た男は、何も言わず去っていった。小十郎はしばし立ち尽くす。

想うことは当たり前だった。二度しか会ったことがなく、何も覚えていないが、彼の人の存在が小十郎の中から薄れることはなかった。

―そうだ、この想いは叶わない。

唐突に突きつけられた事実を胸に、小十郎は空を見上げた。
白い月が自分を見下ろしていた。

その後も足軽達は機会をみては小十郎を誘い続け、何回かの後、小十郎は応じた。
自分に擦り寄る女の手は温かく、小十郎は違和感しか覚えなかった。


基信に仕えて一年と少々経った頃、小十郎は伊達輝宗の小姓に抜擢された。それに合わせて元服する。
景綱の名を受けたが、小十郎の名は捨てられなかった。
小十郎が十五の年であった。

小十郎はよく働く小姓として評判になった。実際、他の小姓に比べ仕事を巧くこなした。それは家で、基信の元で、働いていたからに他ならない。
そして小十郎は輝宗の長男、梵天丸の近侍の役に就くことになる。

梵天丸はその頃、天然痘を患って右眼を失明したばかりであった。
小十郎を見ると、びくり、とした。そのあまりの怯えように小十郎は眉をひそめた。その様子が更に梵天丸の身を縮こまらせた。
梵天丸の周囲にはあまり人がいなかった。それは梵天丸自身が遠ざけたせいでもあるようだが、実母義姫の影響も有るようだった。
小十郎は更に眉をひそめた。梵天丸はその歳の子供としては静か過ぎた。
毎日室の中に篭り、外に出ようとしない。人が近付けば必要以上にびくびくしていた。
女中に話を聞けば、お母上様が、と言葉を濁した。小十郎は深刻な状況を察知した。

小十郎は積極的に梵天丸に声を掛けた。そうでなければ埒が明かないと思ったからだ。
梵天丸は小十郎に怯えたが、その内に下からじっと見上げるようになった。その眼の内に、小十郎は強さを感じた。そして既視感も。

―彼の人に、似ているのか。

未だに頭にこびりつく記憶。といっても、何も思い出せないのだが、小十郎はそれを厭わなかった。彼の人の存在が、今の小十郎を成り立たせている。

―自ら動かねば

小十郎は浮かんだままに梵天丸に接する。

ある日、小十郎が、ずい、と近付くと、梵天丸は脱兎の如く室から駆け出した。
小十郎は一瞬呆けたが、直ぐに後を追った。直ぐに小さな後姿を見つかったが、無理に捕まえず、その背を追う。
梵天丸は懸命に駆けていた。その姿に胸が痛む。だが、足は止めなかった。
中庭の片隅まで行き、梵天丸は植木の茂みに隠れた。小十郎は三歩ほど離れて立つ。
梵天丸は身体を縮こまらせて、何かに耐えているようだった。その肩は細かく震えているようにも見える。

「梵天丸様。」

小十郎が声を掛ける。

「梵天丸に構うな!」

甲高い声が辺りに響く。初めて聞く梵天丸の大きな、悲痛な声。
小十郎はしばらく黙した後、また声を掛ける。

「梵天丸様。」

かつて、自分がそうされたように。

沈黙が二人を包む。小十郎は動かない。
長い間をおいて、梵天丸はゆっくりと立ち上がった。探るように小十郎を見上げる。

小十郎は柔らかく笑った。


弓のような月が、赤く染まる空に浮かんでいた。

そして、出会い。
捏造が盛り沢山に入っててすいません・・・。
こじゅの荒い言葉遣いは基信時代に培われた設定で。



10.11.13


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