ここに居る意味は何だ、と小十郎は考える。



射干玉の闇に光ふたつ 十



翌日、小十郎は自分からアルヤに手合わせを願い出た。手首の腫れが大分引いているのを見て、アルヤは応じた。
朝食をとり、ひと心地ついてから二人は枝を手にする。
小十郎は昨日のことを念頭に置き、闇雲には飛び掛らず、間合いを取った。アルヤは動かない。
意を決して鋭い一打を放つ。が、難なくアルヤにかわされる。小十郎は無理に追わず、また間合いを取る。やはり、アルヤは動かない。
それが何度か続き、小十郎が焦れて連打を繰り出すと、アルヤは途端に攻撃に転じ、小十郎の手首を打った。
昨日の傷には当たらなかったものの、痛みが響き、小十郎は顔をしかめる。だが、枝を確りと握り直し、慌てて間合いを取った。アルヤは追ってこない。
小十郎はじりじりと片足をずらし、攻めどころを探す。ひた、と自分を見据えるアルヤには隙がない。

「臆したか。」

アルヤが突然口を開いた。小十郎は、かっとして打ち込もうとしたが、すかさず手首を打たれた。今度は枝を取り落とす。
慌てて拾おうとすると、枝先を喉元に突きつけられた。

「武器を持っている相手から目を逸らすな。」

そう言うと、アルヤは枝を引く。小十郎は慎重に、アルヤから目を離さず、手探りで枝をとる。
再び枝を構え、間合いを取る。

「自ら動かねば活路は見出せんぞ。」

アルヤの言葉に、小十郎は、ぴくり、と肩を震わせたが、焦りはしなかった。足を横にいざり、角度を変える。
アルヤにとって死角となる位置まで、ゆっくりと移動する。首と目線だけでは追えなくなってきて、アルヤはようやく身体を動かそうとした。

―今だ!

小十郎は迷わず枝を突き出した。アルヤが枝を横に薙ぎ、小十郎の枝を打ち払う。わずかにアルヤの体勢が崩れる。小十郎は手首を返し、アルヤの胴を狙う。ぴり、と手首が痛んだが構わなかった。
が、それもひらりとかわされる。今度はアルヤの方が間合いを取った。小十郎は構えを直し、アルヤを見据える。
また、同じようにゆっくりと死角へ回り込もうとするが、アルヤは今度は小十郎から正面を外さなかった。両者の睨み合いが続く。
小十郎の頭にアルヤの言葉がよみがえる。

―『自ら動かねば』

小十郎はアルヤと自分の間に、歴然とした力の差を感じていた。

―それなら。

どこから攻め込もうと同じ。小十郎はゆっくりと枝を下段に構える。アルヤは上段に構えを取った。
周囲の音がぴたりと止む。
動いたのは同時だっただろうか。
小十郎とアルヤの枝が激突した。
その瞬間、小十郎の手元から、バリッ、と音がした。
小十郎は驚いて身体を引く。アルヤは追っては来ず、また間合いを取ると上段に構えた。気を取り直し、小十郎も下段に構え直す。
また、一合を交わす。小十郎の枝から更に大きな音がし、光が放たれる。アルヤが大きく枝を打ち払い、後ろへ飛びずさる。
そして緊張を解くと、持っている枝を見る。

「雷か。」

小十郎も倣ってアルヤの枝を見る。小十郎の枝と合わせた部分が黒く焼け焦げていた。
呆然とする小十郎を余所に、アルヤは構えを取り、間合いを詰めてくる。
小十郎は我に返り、襲い来る枝を払う。何とかアルヤの攻めを防ぎきり、体勢を取り戻すと攻撃に転じた。
何度も枝を交わすと、時折さっきのように音と光が小十郎から発せられる。
アルヤの動きが速くなる。小十郎はとうとう追いきれなくなり、手首を打たれた。
はあはあ、と肩で息をしながら、枝を拾おうとすると、アルヤがそれを制した。

「今日はここまでにしよう。バサラを発し過ぎると身体に響く。」

その言葉に小十郎は屈みかけた身体を戻した。目を丸くし、荒い息を吐きながらアルヤを見る。

―これが、バサラ。

流れる汗が目に入りかけ、小十郎は手の甲で拭った。打たれた手首に汗が沁みる。思わず顔をしかめた。
アルヤが泉に向かうのが目の端に入り、小十郎は後を追う。アルヤはいつものように竹の葉で器を作ると、水を掬って小十郎に差し出した。
受け取って、口をつける。冷たい水が喉に気持ちいい。

「気の発し方を覚えておきなさい。」

アルヤの涼しげな様子に、小十郎は頷きながらも悔しさを覚えた。


三日目以降、二人は打ち合いに明け暮れた。
アルヤは時折意味ある言葉を発し、小十郎を導く。十日も経たぬうちに小十郎はバサラを自由に使えるようになった。
力が拮抗することはなかったが、小十郎の手首が打たれることは少なくなっていった。
打ち合いが終わり、小十郎は諸肌を脱いで汗を拭う。相変わらずアルヤは涼しげだ。

―一戟くらい、と思うのは贅沢だろうか。

小十郎が悔しさを抑えきれないでいると、アルヤは大分暗くなった月色をこちらに向けた。

「明日、お前は家に帰らねばならない。」

八年前と同じく、突然告げられた事実に、小十郎は顔をしかめた。前回は確か、十四日目に家に帰った。
今回もそれくらい経ったのだろうか。この森の中、アルヤと共にいると日にちの感覚が狂う。

「・・・どうしてもですか。」

小十郎は口から出た言葉に自分で驚いた。それはアルヤも同じだったのか、わずかに暗い月色を大きくしている。だから、撤回しなかった。

「どうしてもだ。」

アルヤは苦笑しつつも、躊躇いなく言った。小十郎はアルヤをじっと見つめる。暗い月色は揺るがない。
小十郎は溜息をつき、視線を逸らした。

「・・・送ってくださいますか?」

小十郎の言にアルヤは柔らかく笑い、ああ、と答えた。


その夜、八年前と同じく、小十郎は寝つけなかった。横で眠るアルヤを見やる。瞼は下ろされ、月色は見えない。
小十郎は、のそり、と起き上がった。

―素振りでもしようか。

だが、アルヤの傍を離れがたかった。また会えるかもしれないが、もう会えないかもしれない。これがアルヤの隣で眠る最後の夜かもしれないのだ。
小十郎は片手を地に敷いたござにつき、アルヤを見る。ござに覆われた胸元が穏やかに上下している。

―また、会いたい。

父が漏らした言葉により、もう一度会えることを知った。だから、八年も待っていられた。

―次はどうすれば会えるんだろうか。

また、じっと待っていればいいのか。自分から会いに来ることは出来ないのか。
ぐるぐると考えが頭の中を巡る。アルヤは起きない。
小十郎は、ふと、自分の手がアルヤに伸びていることに気が付いた。

―・・・何を!

息を呑み、慌てて手を引っ込める。アルヤはやはり起きない。
小十郎は散々迷い、そっとござの上に流れるアルヤの髪に触れた。

―つるつるしてる。

アルヤの髪はとても滑らかで、自分の荒れた指先に心地よかった。小十郎は何度か撫ぜた後、名残惜しそうに手を離した。
身体を横たえ、ござをかぶり直す。

夢に現れたアルヤの姿に、口元を緩めた。


瞼に隠れた月色から、光る滴が流れ落ちた。

こじゅ、ばさら覚醒。
そしてまた別れ。
無意識っていいですよね!意識的もいいですけど!



10.11.13


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