こういうのを試練というのだろうか、と小十郎は思った。
顔に当たる陽光に目を覚まし、横を見ると、昨夜より色濃い月色がこちらを見ていた。
途端、心音が跳ね上がる。
「おはよう。」
アルヤが柔らかく笑う。
「お、おはようございます。」
小十郎はたどたどしく応えた。顔が火照る。
アルヤはさっさと起き上がり、ござをたたむ。小十郎も慌ててそれに倣う。
小十郎が床を上げ終わると、アルヤは戸外へ向かった。小十郎は荷物から手拭を二枚取り出し、外へ出る。
泉に屈み、アルヤが顔を洗っていた。顔を上げるところを見計らって、手拭を差し出す。
「ありがとう。」
また、アルヤが柔らかく笑う。小十郎は、いえ、とだけ応えた。心音が早まる。
手拭を首に掛け、小十郎も顔を洗う。熱くなった顔に、冷たい水が心地よい。
顔を拭きアルヤを見やれば、月色と目が合う。収まりかけた心音が、また踊り出す。
「朝餉にしようか。」
柔らかく笑うアルヤに、小十郎は顔を赤くしながら頷く事しか出来なかった。
家から持ってきた味噌を使い、小十郎が味噌汁を作る。アルヤは米を炊いている。
久しぶりに自分一人でする作業に、小十郎が少々手間取っていると、アルヤが、手伝うか?と問うてきた。
小十郎が固辞すると、アルヤは苦笑して自分の作業に戻った。
―手伝ってもらっては意味がない。
小十郎はこの時の為に、日々家人の手伝いをしていたといっても過言ではないのだ。
何とか出来上がった味噌汁を味見する。まあまあの出来に安堵する。
アルヤに目をやると、かまどに火をくべているところだった。米が炊けるまでにはまだかかりそうだ。
手伝いましょうか、と声を掛けかけたが、思い直す。もう一品あったほうが、よいだろう。
荷物から菜っ葉と胡麻を取り出す。鍋に油を引き、菜っ葉を適当にちぎって放り込む。いくらかしんなりしてきたところで醤油で味付けし、仕上げに胡麻を加える。
ふと目線を感じて頭をめぐらせれば、月色と目が合った。鼓動が跳ね上がる。
アルヤは柔らかく笑い、火に目を戻した。
焦げ臭い匂いが漂ってきて、小十郎は慌てて鍋を持ち上げた。
失敗した野菜炒めに小十郎がしょげ返っていると、アルヤが苦笑した。
「失敗を厭うものではない。作ってくれて嬉しいよ。」
アルヤの言葉に小十郎の顔色が明るくなる。アルヤに促されて食事を取った。焦げた菜っ葉は苦かったが、食べられないことは無かった。
朝食が終わり、片づけが済んで一休みすると、アルヤは森から三尺ほどの枯れ枝を二本拾ってきた。
一本を小十郎に渡し、アルヤはもう一本の枯れ枝の端を両手で握った。
意図が分からず左手に枝を持ったまま立ち尽くしていると、アルヤが枝を振りかぶり、小十郎に向かってきた。
驚いて固まっていると、ひゅっと音を立てて、枝が振り下ろされる。小十郎は思わず目を瞑った。
いつまで経っても衝撃が来ない事を怪訝に思って、閉じていた目を開ければ、額の中心すれすれのところにぴたりと枝の先が止まっていた。
アルヤを見下ろすと、正面からこちらを見て笑っていた。にやにや、という擬態語がぴったりな表情である。
今度はそれに驚いて固まっていると、枝の先で額をつん、と突いてきた。相変わらずにやにやしている。
小十郎はむっとして身体を引く。枝の先が追いかけてくる。
身体を横にずらしたり、背を向けて駆け出したりしたが、アルヤはしつこく追ってきた。にやにやしながら。
段々腹が立ってきて、小十郎は身体を向き直す。すかさずアルヤは小十郎の額を狙ってきた。
―当たる!
小十郎は咄嗟に持っていた枝で打ち払った。が、直ぐに第二打が来た。今度は胴を狙って。
また枝を使って打ち払う。それが何度も続き、小十郎はようやくアルヤの意図に気が付いた。
アルヤは小十郎との打ち合いを求めているのだ。
―それなら!
小十郎が反撃に転じようとしたとき、鋭い一撃が手首を襲った。衝撃に、小十郎は持っていた枝を取り落とす。
すると、アルヤはようやく枝を下ろした。
「まあまあ持った方だな。」
笑いながら言うアルヤを見ながら、小十郎は手首を擦った。思わずむっとする。
「やるか?」
またも、にやにやしながら、アルヤは問うた。小十郎は直ぐに落とした枝を拾い上げ、両手で持つ。
小十郎とて男。やられっぱなしでは面白くない。
兄と共に剣術の稽古をしたこともあるし、儀式の為に真剣を握ったこともある。
―次は負けない!
小十郎は意気込んで、いきます!と声を上げた。
それから数刻、小十郎とアルヤは枝を打ち合わせたが、小十郎がアルヤから一本取ることは出来なかった。
それどころか、手首を打たれて枝を取り落とすこと数回。小十郎の手首は段々赤く腫れ上がってきた。
まともに枝を握れなくなってきた頃、アルヤが苦笑して、枝を手放した。
「今日はここまでにしよう。冷やさねば明日に響く。」
アルヤの言葉に、小十郎は素直に従った。正直、じんじんと痛みが酷い。枝を放し、だらりと腕を下ろす。
―結局、一発も当たらなかった。
小十郎の振り回す枝はアルヤにかすりもしなかった。
―俺は弱かったのか。
剣術の稽古では、兄から一本を取ったことが何度かあった。それは唯一自分が兄よりも優れている事で、自信を持っていた。
小十郎が溜息を吐くと、下がった視線の先に手拭が入り込んできた。
顔を上げればアルヤがうすく笑いながら、濡れた手拭を差し出していた。
「手首を冷やしなさい。」
力の入らない手で手拭を受け取る。ひんやりとした布が気持ちいい。
のそのそと手首に巻きつけていると、アルヤが森の中に消えた。ぼんやりと見やっていると、すぐに戻ってきた。
その手には数枚の葉が握られている。思わずじっと見ていると、アルヤは小屋の中に入っていく。
小十郎が後を追って中に入ると、アルヤは鍋に水を張り、さっきの葉を煮ていた。
―何をしているのだろうか。
小十郎はぼんやりとそれを見つめる。
「夾竹桃だ。打撲に効く。」
しばらくして、アルヤが唐突に口を開いた。
きょうちくとう、と小十郎が繰り返す。アルヤは鍋から目を離さず、頷く。
二人とも黙ったまま鍋の前に立つ。しばらくすると煮立ってきて、水の色が変わってきた。
アルヤは鍋をかまどから外し、持ったまま外に出る。小十郎も後に続いた。
鍋の底を泉につけ、アルヤはじっとしている。どうやら湯を冷ましているようだ。
小十郎はアルヤの傍に立ち、ただその様子を見ていた。
―打ぼくに効くということは、俺の為だろうか。
小十郎が思いをめぐらしていると、アルヤは時々鍋を揺らした。早く冷まそうとしているのだろう。
―教えてもらうことばかりだ。
どうしてこんなに色々と教えてくれるのだろうか。小十郎は思い返す。
―八年前もそうだった。
竹の葉の器の作り方、木の登り方、火の点け方、食事の作り方。挙げたらきりが無いほど、沢山のことを教わった。
そしてまた、アルヤは教えてくれようとしている。
アルヤが鍋を持ち上げて、こちらを向く。小十郎に手首を出すように、と言う。
小十郎は手拭を外し、赤く腫れた手首を出す。アルヤは鍋を傾けて、温めの湯をゆっくりと手首に掛けた。
ぴりり、と皮膚が痛む。だが、小十郎は腕を引かずじっとした。
アルヤは鍋の湯が無くなると、手拭を取り、泉に浸し、軽く絞って小十郎の手首に巻きつけた。
「これでいくらか楽だろう。」
小十郎が、ありがとうございます、と礼を言うと、アルヤはうすく笑った。
吹き抜けた風が小十郎の手首を冷やした。
こじゅが何気に主夫っぽい(笑)
けしてこじゅが弱いわけではなく、オリジ主が強いのです。
進んだようで逆戻りの二人。
夾竹桃のくだりはネットで調べた俄知識です。真似しないでね☆
10.11.10
八← →十