森に近付くにつれて早まる歩調を、小十郎は緩める事が出来ないでいた。
小十郎は早まった息を整えるため、大きく深呼吸をした。
目の前には黒々とした森。木々の隙間から月の光が差し込んでいる。
じっと正面の満月を見つめる。
小十郎は足を踏み出した。
背の高い草を掻き分け、森を進む。ただ真っ直ぐ、月に向かって歩く。
唐突に、正面に二つ並んだ光が見える。その色は、空に浮かぶ月と同じ。
小十郎は駆け出す。
小柄な人の姿が、暗い森の中に浮かび上がる。
「小十郎」
涼やかな声が聞こえる。
顔がはっきりと判別できる位置まで来て、小十郎は足を止めた。
「よく来た。」
娘が言う。八年前と何一つ変わらぬ声、姿、笑み。
小十郎は一拍後、声を出した。
「お久し振りです、アルヤ様。」
するり、と目の前の娘の名前が出てきた。
―そう、アルヤ様だ。
頭の中で反芻する。それと同時に、八年前の記憶がどっと溢れ出てきた。
ああ、と嘆息し、アルヤに近付き、月色の瞳を見下ろす。月色は、自分の顎より下にあった。
うすく笑うアルヤに、小十郎もうすく笑った。
アルヤの後に続いて森を歩く。しばらくすると、あの広場に出た。八年前と同じく、泉と小屋があった。
小十郎が目を丸くしていると、アルヤが振り返る。月色がきらめく。どきり、とした。
「足を洗うといい。」
小十郎は、はい、と応え、荷物を地に置き、竹に近付いた。葉をむしり、器を作る。泉の傍に座り、草鞋と足袋を脱ぐ。
アルヤはその様子を、うすく笑いながら見ていた。
小十郎は手と足を洗い、裸足のまま立ち上がる。アルヤを見れば、月色と目が合った。また、どきり、とした。
「大きくなったな。」
アルヤの言葉に、それはそうだ、と思った。なにせ八年経っているのだ。そのうえ、小十郎は同い年の子供達に比べ、背が高く体格もいい。
何も言わずにアルヤを見ていると、アルヤは苦笑した。
「何か言いたさそうな顔をしているな。」
小十郎は一拍空けて、首を横に振る。自分に何も言えるはずがない。アルヤはじっと小十郎を見たが、それ以上追求しなかった。
「腹は空いていないか?」
八年前と同じ問いに、今度は小十郎が苦笑した。地に下ろしていた荷物を手に取る。
「家から握り飯を持ってきました。食べますか?」
風呂敷を解き、味噌付きの焼きおにぎりを取り出す。アルヤがうすく笑った。
「いただこう。」
向かい合って地に座り込み、小十郎がおにぎりを差し出すとアルヤが手に取る。
お互い黙々とおにぎりを口に運ぶ。小十郎は、ちらりとアルヤを見た。輝く月色は少し伏せられている。
おにぎりに目を戻す。今まで食べたものの中で、一番美味しく感じられた。
おにぎりを食べ終えると、小十郎は桃の木に登り、いくつか実を採った。
持ってきた小刀で手早く皮をむく。切り分けた桃の実を泉で濯いだ竹の葉に乗せ、アルヤに差し出す。
アルヤは、ありがとう、と言い、口に運ぶ。アルヤの顎が動くのを見て、小十郎も一欠けら口に入れる。
じゅわりと果汁が口の中に広がる。桃の実はとても甘かった。
小十郎は内心驚く。前に食べたときもこんなに甘かっただろうか。
まるまる二つの桃の実が二人の腹に納まると、沈黙が降りた。
アルヤは何も言わず、小十郎もまた何も言わなかった。
小十郎は森を見るアルヤの横顔をじっと見つめる。月色の瞳がきらきらと光を発している。
―こういうのを、美しいって言うんだろうな。
ふと月色がこちらを向いた。小十郎は慌てて目線を外す。
くすくす、と笑い声が聞こえてきて、小十郎は驚いてアルヤを見た。
アルヤが、笑っている。月色の中に自分が映っている。
小十郎は、どきりとした。
「寝ようか。」
アルヤはおもむろに立ち上がると、小屋へと向かった。小十郎は慌てて荷物をまとめ、後を追う。
小屋に入ると、アルヤがござを広げていた。小十郎もござを二枚取り、広げる。
「何でそんなに遠いんだ。」
アルヤの言葉に、ぎくり、とした。ござを引いていた動きが思わず止まる。
小十郎とアルヤのござの間には、大人三人分が眠れるだけの広さがあった。
「起きたとき、隣にいなさい。」
アルヤは小十郎に近付くと、敷かれているござをアルヤのござの方に引きずっていった。
小十郎はしばらく固まっていたが、何も言えず、アルヤの隣に移動した。
さっさとござに包まったアルヤを見下ろし、なんともいえない顔をしていると、アルヤから声が掛かった。
「おやすみ。」
月色が一度、小十郎を映し、隠れる。
「・・・おやすみなさい。」
小十郎は辛うじて応え、小さく息を吐き、自分もござに包まった。
あっという間に眠りに落ちる。また夢は見なかった。
どくどく、と五月蝿い心音が、遠くに聞こえた。
こじゅ、思春期(笑)
こじゅはこの時点で160あります。最終的には180超えます。
ようやく再会しました〜。
10.11.10
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