心より願っていた、夢のような日々。小十郎は急く心を抱えながら、日々を過ごす。
小十郎が十三歳になった年のある日、父の景重が小十郎を呼び出した。
―”責務”が増えるのだろうか。
近頃は兄を手伝い、神社である片倉家の習わしに関わっていた。祝詞や儀礼の手順なども大分覚えてきたと思う。
「小十郎よ、ひと月の後、また『還らずの森』に行ってもらう。」
部屋に入り腰を落ち着けた途端、景重の口から飛び出した言葉に、小十郎は目を見開いた。
どくり、と胸が高鳴る。
「此度もどれだけかかるかは分からぬ。よいか。」
「はい、父上。」
小十郎は躊躇無く答えた。その様子を見、景重は小さく息を吐く。
「・・・彼の方に宜しく伝えよ。」
小十郎は、はい、父上、と確り応え、景重の前を辞した。
廊下に出た途端、足早に去る次男に、景重は今度は深く息を漏らした。
―やっと、やっとこの日が来た!
小十郎は急いで自室に戻り、風呂敷を引っ張り出し、支度を始めた。そこで、はた、と思い至る。
―まだひと月ある。
取り出した衣やなにやらを、取りあえず風呂敷に包んだ。
高揚が焦れったさに摩り替わる。
―早く、会いたいのに。
ひと月、我慢できるだろうか。小十郎は溜息をつく。
実は、小十郎はあの森に何度か行ったことがあった。
”還らずの森”は家から半刻ほど歩いたところ、周りを田に囲まれた場所に、ぽっかりと存在する小さな森だった。
初めて足を踏み入れたときより一年ほど後、日中に一人で森の中に入った。太陽を目印に真っ直ぐ歩くと、四半刻もしないうちに森の反対側に抜けてしまった。
驚いて引き返すが、結果は同じだった。
小十郎は一年前を思い返す。あの時は、彼の人に会うまで、森を出るまで、どちらもかなりの時間を掛けて歩いたはずだ。少なくとも一刻は歩いた。
―日がたかいせいだろうか。
あの時はどちらも夜だった。
小十郎は家に帰るしかなかった。
また一年ほど後、夕刻に家を抜け出し、小十郎は森に足を踏み入れた。暗い森の中、星を頼りに真っ直ぐ歩く。
また、四半刻も経たないうちに森の反対側に出てしまった。すると、自分を探しに来た下男に見つかった。
腕を引っ張られて家に戻ると、女中頭にこっぴどく叱られた。子供が夜に一人で出歩くなど、しかも”魔の森”に入るなどもっての外だ、と。
小十郎は黙って言葉を受け、謝罪した。こうなることは分かっていた。
小十郎は考えた。
―夜でもない。他に何がちがったのか。
あの日は確か・・・。小十郎ははっとした。
―もちづきだ。
彼の人の真後ろに、満月が浮かんでいたはずだ。
―次こそは・・・!
小十郎はそう心に誓い、じっと時を待った。
更に一年ほど後、小十郎はまた夜に家を抜け出した。満月が東の空に姿を現していた。小十郎は迷わず森に飛び込むと、満月に向かって駆けた。
今度は四半刻経っても森を抜けることなく、欝蒼とした森が目の前に続いた。
小十郎は期待に胸を膨らませたが、ある場所で足を止めた。森に囲まれた円状の広場に出たからだ。
しかし、そこには何も無かった。泉も、小屋も、彼の人の姿も。
小十郎は呆然と立ち尽す。しばらくして、奥歯を噛み締め、引き返した。
森を出ると空が白んでいて、下男が血相を変えて自分を捕まえた。家に戻ると女中頭に泣かれ、景重に呼ばれた。
父は長い沈黙の後、小さく息を吐いた。
『分かったであろう。行っても何も得られぬ。・・・今はまだ。』
小十郎は弾かれたように顔を上げた。父は静かに自分を見返す。
『時期を待て。・・・よいな。』
小十郎は、はい、父上、と応えた。
翌年から、小十郎が家を抜け出すことは無かった。
そしてあの時から八年経った今年、ようやく景重から森行きを告げられたのである。
―まだ十日も経っていない。
小十郎は溜息を吐く。傍にいた下男がまたか、という顔をする。だが、小十郎の作業の手が止まっていないのを見て、自分の仕事に戻る。
小十郎の溜息は、森行きを知ってから日を負うごとに増えていた。
薪を丸太の上に置き、鉈を振り下ろす。ガッと音がし、刃が食い込む。薪を刃に食い込ませたまま、もう一度鉈を振り上げ、薪ごと丸太に打ち付ける。
カンッと薪が真っ二つに割れる。小十郎はそれを繰り返す。
―焦っても仕方がない。
そう、幾度となく自分に言い聞かせた言葉を、また唱える。
―あと、二十日でお会いできる。
小十郎は黙々と薪割を続ける。これが終わったら次は湯を沸かすことになっている。身体を動かすと、それに合わせて小十郎の懐の火打石が音を立てる。
やることは他にもある。それがせめてもの救いだ。
―あと、少し。
鉈を振り上げ、振り下ろす。
高い音を立てて、木が弾け飛んだ。
再会の時が来ました。
こじゅ、立派な働き手に成長してます。
意外に色々と行動派なこじゅでした。
10.11.10
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