師のようで、母のようで、姉のようだ、と小十郎は思った。
朝餉を作るのに大分手間取った。要因として、小十郎が火の点け方をはじめ、食事の作り方などを何も知らなかったことが挙げられる。
アルヤは一つ一つ小十郎に手ほどきした。小十郎はアルヤの手元から目を離さないよう懸命に見つめ、言葉を聞き漏らさないよう耳を傾けた。
何とか作り上げた朝餉を食べ終わる頃、日は随分と高くなっていた。
朝餉の片付けを簡単に終えると、アルヤは地に座り込んだ。小十郎もそれに倣う。
知らず、ほっと息をつく。朝起きてから、いや、昨夜から慣れない事ばかりして、息つく暇も無かったのだ。
アルヤは何も言わず、ただ前方を見ている。その横顔をしばらく見ていたが、小十郎も前方に視線をやった。
目の前にはただ、森がある。
昨夜は満月が出ていたにもかかわらず、真っ暗で気味の悪さだけが印象的だったが、こうして陽光の元見てみると、青々として美しかった。
しばらく二人は会話もせず、前方を見ていた。
小十郎は突然、寝入り端に立てた目標を思い出した。
―そうだ、今日は木から一人でおりるんだ。
アルヤに目を向ければ、月色と視線が交わった。どきり、とする。
「やってみるか?」
何、とは言われなかったが、今日の目標のことだろう。
首を縦に振れば、アルヤはうすく笑った。
登るときよりは危なっかしかったが、小十郎は木からの降り方を習得した。
アルヤはずっと小十郎の下にいて、いつでも受けとめらるようにしていた。
ぜったいおちない、という小十郎の密かな決意は守られた。
あっという間に日が落ち、夜が来る。夕餉を二人で作り、月が高くなる前に、二人は床に就いた。
「アルヤさま、明日は何をするのですか?」
小十郎が昨夜のように尋ねると、アルヤは同じように問い返した。
小十郎はまた考え、森に行きたいです、と答える。またアルヤはあっさりと頷き、眠りに入った。
朝起きて、朝餉を取り、昨夜決めた目標をこなし、夕餉を取り、同じ問いかけをして、眠る。
そんな毎日に小十郎は特に疑問を抱かないまま、数日を過ごした。
「アルヤさま、明日は何をしますか?」
いつものようにアルヤに声を掛けると、大分黒っぽくなった月色が小十郎を映す。
「明日の夜、お前は家に帰らねばならない。」
小十郎は目を見開く。いつものように問い返されると思って、明日の目標を立てていた。
アルヤはただ、じっとこちらを見ている。
黒っぽい月色を見返したまま、小十郎は喉の奥に何かが引っかかったように、何も言えなかった。
アルヤが、寝なさい、と言って目を閉じる。
小十郎はアルヤから天井に視線を移し、ぎゅっと目を瞑った。目の奥が熱くなる。
―明日は一人であさげを作りたいって
そう言うつもりだったのに。
小十郎の手の中で、ござがぎり、と鳴る。
この森に来て初めて、小十郎は眠れぬ夜を過ごした。
結局、小十郎が言うつもりだった目標は果たされず、夜が来た。
小十郎は真っ暗な森の中、前を歩く漆黒の髪を見る。
アルヤは夕方になるとただ、行こう、と言って森へと歩みを進めた。
小十郎は荷物を抱え、その後を追った。何も言えなかった。
手の中の荷物がぎり、と鳴る。
アルヤはただ歩き続ける。小十郎もそれに倣うしかなかった。
ふと、森がひらける。
―さと、だ。
田が広がり、遠くに家屋が見える。久しぶりに見る光景に、小十郎は立ち竦んだ。
「もうすぐ空が白んでくる。道がはっきり見えるようになったら、家に帰りなさい。」
アルヤはそう言うと、小十郎の頭を撫でた。初めての事に小十郎は目を見開く。
「楽しかった。ありがとう。」
アルヤがいつものようにうすく笑う。頭から手が離れた。
―行ってしまう!
小十郎は咄嗟にアルヤの手を掴んだ。どさり、と荷物が地に落ちる。
アルヤが振り向く。黒っぽい瞳が小十郎を映す。
「い、いやです」
小十郎は言葉を搾り出した。久しぶりに話した気がする。声が掠れた。
アルヤはただ、じっとこちらを見る。黒っぽい瞳で。
小十郎が言葉を発する前に、するり、とアルヤの手がすり抜けた。
「ありがとう、小十郎。」
アルヤが笑った。大きく、深く。
小十郎は焦って手を伸ばす。指先が空を切る。
アルヤが目を瞑り森の闇に溶けた。
陽光に照らされた森は、思ったよりこじんまりとしたものだった。
初めての共同作業(違)
来るべき別れです。てか、こじゅ懐きすぎ・・・。
さて、次ではこじゅの周りの人が色々出てきます。
10.11.09
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