外界から隔絶された不思議な空間の中で、小十郎はアルヤと二人、時間をおくる。



射干玉の闇に光ふたつ 三



アルヤに教えられて作った竹の葉の器で泉の水を掬い、小十郎は手と足を洗った。
冷たい水に火照った足が冷やされ、汚れも綺麗に落ちた。
それを確認してか、アルヤが口を開いた。

「腹は空いていないか?」

言われて、小十郎は腹部を濡れた手で押さえた。上等な衣に水気が移る。
あ、と思ったが、手拭が無かったので仕方ないと思うことにした。
アルヤに目をやれば、じっとこちらを見て返事を待っているようだ。

「あ、す、空いてる!」

小十郎は慌てて答えた。そういえば、夕食から結構時間が経っている気がする。途端、腹の虫が鳴いた。
小十郎は顔を真っ赤にしたが、アルヤは気にした風もなく、言葉をつむいだ。

「木の実は好きか?」

木の実というと団ぐりだろうか。たべたことない、と答えると、アルヤは首を傾げ、ああ、と声を漏らした。

「水菓子の方だ。好きか?」

小十郎は自分の勘違いに気づき、慌てて、すき、と答えた。木の実とは果物のことか。それなら小十郎は好んで食べる。
アルヤはうすく笑うと、おもむろに片腕を上げ、指差した。

「好きなものを食べるといい。」

そこには様々な木が立派な実をたわわに実らせていた。
梅、さくらんぼ、枇杷、桃、柿、見たことも無い実もある。
小十郎は唖然とした。実る季節が全く違うものが並んで生っている。

「木は登れるか?」

小十郎は、はっとし、アルヤを見た。また、じっとこちらを見ている。
慌てて、のぼったことない、と答えた。小十郎はまだ幼く、危ないことは家人に止められている。

「ならば見ているといい。」

そう言うと、アルヤは手近の桃の木に近付き、するすると登っていった。
小十郎はまた、唖然としてその様子を見た。アルヤは桃の実の届く場所まで登ると、一つもいで、飛び降りた。
あっ!と小十郎が声を上げたが、アルヤは問題なく桃の木の元に降り立った。

「やるか?」

アルヤの問いに、またも小十郎は、はっとし、急いで頷いた。女のアルヤに出来るのだ、自分だって出来るはず。
小十郎はアルヤと同じ木に近付くと、上を見上げた。自分の手の届く場所には、枝は無い。どうすればいいのだろうか。

「手伝うか?」

思案していると、横からアルヤが問うてきた。小十郎はアルヤを見上げたが、首を横に振る。
自分でやらなければ意味が無い、そんな気がした。

「落ちたら受け止める。」

アルヤの言に、小十郎はますます失敗できないと思った。アルヤの手を煩わせるわけにはいかない。

―アルヤ、さまは”かのかた”なんだから。

父が敬語を使うような人物だ。相当位の高い娘に違いない。
肩に力の入った小十郎を見やり、アルヤはまた義父姉のような顔をした。

「やってごらん。」

アルヤに促され、木に手をかける。ざらざらとした木肌が手のひらに触れる。
意を決して小十郎は桃の木に抱きついた。

必死に自分の身体を引き上げる。今にも落ちてしまいそうだ、と思った。
木の元、自分の下にはアルヤがいる。小十郎が木に登り始めたのを見て、さっきもいだ桃の実を地に置き、こちらをじっと見ている。

―ぜったいおちない!

自分が落ちたらアルヤが怪我をするかもしれない。それくらいならば自分が怪我をした方がよい。

―ぜったい、おちない!

小十郎は腕の力と足の力を確りと込め、木を登る。一番近い枝に左手が掛かり、一気に腕の力を入れた。
それからは幹にしがみ付いていたときより容易に登り進めることが出来た。初めてにしては危なげなく、小十郎は桃の実まで辿り着く。
太い枝にまたがり、大きな実を両手で掴み、もぐ。

―やった!

小十郎は歓喜して下にいるアルヤを見る。が、思いもしなかった高さにたじろいだ。
ぐらりと傾ぐ身体に、慌てて体勢を整える。そして、ふと気づいた。

―どうやっておりれば・・・?

アルヤは、飛び降りていた。とてもじゃないが、自分が無事に着地できるとは思えない。しかも、手には桃の実。大事な戦利品を手放すのは嫌だった。
すると、こちらを見上げていたアルヤが両手を上げた。

「おいで。」

アルヤは両腕をこちらに広げ、じっと見つめてきた。飛び降りろというのか、アルヤの元に。
小十郎は驚いて首を横に振る。またぐらりとして、慌てて身体を直す。

「おいで。」

もう一度、アルヤが優しく言った。両手は上げられたまま、下ろす気配は無い。うすく笑っている。
小十郎は迷って、迷って、片手に桃の実を持ち直した。またいでいた枝に腰掛ける形に座り直す。
じっとアルヤを見下ろす。アルヤは一つ、頷いた。
桃の実を持ったまま腕を広げ、腰をいざった。身体が落ちる。

どん、と音を立てて、アルヤの胸に飛び込んだ。不思議と痛くは無かった。


左手の中で、桃の実が、ぐしゃり、となった。

初お触りです(違)
こじゅが歳の割りにしっかりしすぎている感もありますが・・・まあ、こじゅだしね!
こじゅはお菓子は嫌いじゃない程度だけど、果物は好きだといい。


10.11.08


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