これがあやかし、と。きれいだ、と小十郎は思った。
「よく来た。」
目の前のあやかしが喋った。小十郎は、はっとし、一歩下がった。
『逃げるのですよ』『逃げるんですよ』
にげる。
―だめだ!
小十郎はぐっとあごに力を入れて、あやかしを睨みつけた。
―”せきむ”なんだから!
兄上のようになるのだ、と自分は念じている。ここで引き返すわけにはいかない。
あやかしは自分を真っ直ぐ見つめながら、うすく笑った。
「景重は何と言っていたか?」
耳を震わせる涼やかな声に、小十郎はまた、はっとした。
―ちちうえの、なまえ。
この人が”かのかた”だろうか。
小十郎はあやかしをじっくり見た。
自分よりいくらか年上の娘。十くらいだろうか。二藍の着物を身にまとい、裸足。
これだけならただの村娘に見えるが、問題なのはその瞳だ。
娘の真後ろに浮かぶ満月と同じ色。
「お前の父は何と言っていたか?」
再び問われて、小十郎は三度、はっとした。娘の瞳に魅入っていたのだ。
何を言われたのか、一瞬分からなかったが、頭の中で反芻する。
「・・・かのかたにすべておまかせするのだ、と」
小十郎は景重の言葉をそのまま口にした。答えねばならない、そんな気がした。
娘はまた少し笑った。義父姉が自分を叱るときの顔に少し似ていた。
「ならば、来るといい。」
そう言うと、娘は背を向けた。気が付いたときには、暗闇に溶けそうだった。
小十郎は四度、はっとし、急いで後を追った。この真っ暗な森の中、一人残されては堪らない。
―この人が、”かのかた”
妙な確信を抱いて、小十郎は娘のすぐ後ろを歩いた。
―すべておまかせすればよい。
父の言葉を思い返しながら、黙って歩く。兄のように。
しばらくすると、森がひらけた。ぽっかりと円状の広場のような場所で、小さな泉があり、傍らには小綺麗な小屋があった。
刈られたように短い草が足に触ってくすぐったい。
「歩き詰めで疲れたろう。足を洗うといい。」
娘が振り返って言う。月色の瞳が自分を映し、小十郎はびくりとした。
娘はまた、義父姉のような顔をし、泉へと向かった。小十郎は慌てて後を追う。
―しまった。
何がしまった、なのかは分からないが、そう思った。謝らなくては、と。
泉の傍まで行くと、娘はまた振り返った。
その月色を見た瞬間、言葉が飛び出た。
「ご、ごめん!」
娘は少し、目を見開いた。月色がよく見えて、小十郎は自分が間違っていたのだろうか、と思った。
「・・・ごめんなさい」
再び謝ると、娘はまた少し笑った。今度は、義父姉に似ていなかった。
「足を洗うといい。」
謝罪は受け取ってもらえたのだろうか。小十郎が娘の顔色を窺っても、娘はただ笑っているだけだった。
小十郎は仕方なしに泉のほとりに、持っていた荷物を置き、しゃがみこんで草履を脱ぎ、足袋を脱ぐ。
草履と足袋は思いの外、土と草の汁で汚れていて、小十郎の手に汚れがうつった。
泉で手と足を洗おうとして、躊躇った。泉があまりにも綺麗だったからだ。このまま突っ込んでは泉が汚れてしまう。
小十郎が手と足を引っ込めようとしたとき、少し遠くから娘の声が掛かった。
「おいで。」
いつの間に移動したのか、娘は広場の端にある竹林の傍に立っていた。
驚いて一拍置いてから、小十郎は立ち上がって娘に近付いた。一体なんだというのか。
小十郎が近くまで行くと、娘はおもむろに竹の葉を一枚むしった。くるり、と葉を曲げて下をすぼめ、上が開いた円錐状の形にした。葉の先を葉の根元辺りに差し込み、固定する。
娘の意図は分からなかったが、小十郎はその手先の鮮やかさに魅入っていた。
「こうすれば器になる。やってごらん。」
小十郎はきょとんとして娘を見た。娘はただ、自分を見ている。
―まねをすればいいんだろうか。
小十郎はとりあえず、手近な竹の葉をむしり、娘の真似をした。が、上手くいかない。
まず、葉の先を葉の根元に差し込むのが難しかった。びり、と根元が破れたり、ぐに、と先が折れてしまって上手く差し込めなかったりした。
小十郎が竹の葉と格闘していると、娘がぽつり、と呟いた。
「アルヤ。私の名だ。」
小十郎は手元の葉に熱中しながら、うん、と頷いた。
不思議と娘、アルヤの名を聞き漏らすことも忘れることも無かった。
初めての共同作業(違)
オリジ主の名前がやっと出ました・・・。
この名前は個人的に色々な場所で使っている、思い入れのある名前です。
漢字変換も出来ますが、あえて片仮名で。
10.11.08
一← →三