蜜の味は、とても甘い。
小夜は自室の布団の中で、熱い身体を持て余していた。
気温が高い以外の理由で身体が熱いと思ったのは初めてだった。
―ここにきてから、はじめてばかり。
一年と少し前に政宗に拾われて以来、自分の身に起こることは初めて尽くしだった。
書の稽古、礼儀作法、家事、政務の手伝い、挙げればきりがない。
そして、沢山の人との出会い。
―めいわく、かけちゃだめだ。
皆、どこの馬の骨とも分からない自分に、親切にしてくれる。
人として、扱ってくれている。
―・・・あやまらなきゃ。
きっと、小十郎の態度の方が、一般的なのだと思う。
小夜は今でこそ色々を覚えたが、元は粗野で無知だった。
自分が、ここに居ていい理由など、考えれば考えるほど、一つも見当たらなかった。
瞼が熱い。閉じた目から、水が溢れる。
障子の向こうから、今一番聞きたくない人の声が聞こえた。
目元を着物の袖で乱暴に拭い、小夜は黙っているわけにもいかず、入室を許可した。
すらり、と障子が引かれ、大きな身体が姿を現す。
小十郎、だった。
小夜は力の入らない身体を起こそうとしたが、小十郎に止められた。
「寝ていていい。」
耳にしたことのない、小十郎の、とても柔らかい声。小夜は素直に従った。
小十郎は自分の枕元に移動し、静かに胡坐をかいた。その様子は他の臣下に対しているときに似通っていた。
突然の態度の変化に戸惑う小夜を余所に、小十郎は小さな壺を差し出した。
首を傾げて見上げると、小十郎が小さく笑う。
―わらった。
小夜が密かに感動していると、小十郎が口を開いた。
「喉が痛むんじゃねえかと思ってな、持って来た。」
壺のふたを開けて中身を傾ける。とろり、とした黄色いものが入っていた。
小夜が質問しようとすると、小十郎は手を挙げてそれを制する。
「喋らなくていい。これを水か湯に溶いて飲め。ちったあましになる。」
初めて自分に向けられたぞんざいな口調に、小夜が目を白黒させていると、小十郎は壺を枕元の水と薬湯の横に置き、静かに立ち上がる。
「邪魔したな。・・・ゆっくり休め。」
柔らかく笑い、自分を気遣う小十郎。
背を向けて出て行こうとするのに、小夜は焦った。声を出そうとするが上手くいかない。
一歩踏み出した着物の裾に、小夜は必死に手を伸ばした。
掴むことは叶わなかったが指先が触れ、それに気付いた小十郎が振り向く。
「どうした?」
あくまで優しく話しかけてくる。
小夜は混乱しながらも、懸命に口を動かす。
―ごめんなさい
声は出なかったが、口の動きで伝わったのか、小十郎は少し目を見開き、困ったように笑った。
「・・・俺の方こそ、悪かった。」
早く良くなれ、と最後に付け足し、小十郎は去っていった。
小夜は妖に化かされているような心地になった。そのまま落ちるように眠りに就く。
次に起きたとき、一番に壺の存在を確認しよう、そう思いながら。
小十郎が政務に戻ったとき、政宗は真面目に机に向かっていた。
珍しいこともあるものだ、といつもの場所に腰を下ろせば、声がかかった。
「花梨の蜂蜜漬けなんざ、よく手に入ったな。」
小十郎が顔を向ければ、主は、にやり、と音を立てそうなほど笑っていた。
「・・・詰まらぬ事に忍を使われますな。」
自分の窘めなど耳に入らないらしく、にやにやと笑いながら目線だけで回答を求める。
その様子に小十郎は溜息を禁じえなかった。
「・・・小十郎めの自宅で作ったものです。毎年漬けております。」
「Ah?初耳だぜ?」
「漬けだしたのはここ二、三年です。その間政宗様は喉を痛めておられません。」
「Hum.成る程な。」
政宗が納得したのを見、これで終わりとばかりに小十郎は筆を取った。
「で、どうだった?」
「・・・・・・何がでございますか。」
どうやら追求は終わっていなかったらしい。相変わらずにやにやしている。
小十郎は一瞬、主の顔がこれで固定してしまったらどうしようか、と本気で考えた。
のらりくらりと小十郎が逃げを打つのを、政宗は心底楽しんでいた。
どうやら自分が作りあげた土台に、ようやく主役達が落ち着くようだ。
小十郎は顔は澄ましていたが、耳がわずかに赤かった。
―All right!面白くなってきたじゃねえか!
この一年と少し、時間と手間をかけた事が無駄にはならなかった、と安堵する。
協力者達には漏れなく報告してやろう。それが十分な報酬となる。
政宗はまたにやりと笑った。
まずは愛の元に向かい、夜遅くまで美酒に興じた。
寝待月が、東の空に輝いていた。
寝待月(ねまちづき):十九日月
ようやくこじゅが・・・!
まだまだ続きます。
花梨の蜂蜜漬けは管理人の自宅で実際作ってました。
甘くて本当においしいですよ〜v
10.12.04
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