胸に凝る想いを、形にすることは出来ない。



混ざる彩の身に染まらん



足元に舞う砂埃を辿り、小十郎が歩を進める。
その先には鍛練場があり、大きな掛け声が辺りに響き渡っている。
小十郎が戸に手を掛け、中に入る。
入り口に背を向け、幸村が鍛錬用の二槍を振るっている。
その動きは荒々しく、何かを切り捨てるようであった。

小十郎は幸村の後姿をただ見つめる。
自分から声は掛けない。それは小十郎が自身に科した事であった。
揺れ動く紅と茶。
小十郎はじっと待つ。
幸村が後ろ足に体重をかけ、身体が反転する。
大きな茶の瞳がこちらに向く。そして、見開かれた。

「っ片倉殿!」

躊躇いなく呼ばれる自分の名。
小十郎は心の中で嘆息する。

―誤魔化しは利かねえ、か。

小十郎は、自分の中にある、幸村に対する好意を認めた。
幸村はいつも、自分に真っ直ぐ向かってくる。それが新鮮で、心地よかった。

小十郎は鍛練場に足を踏み入れる。
自分から幸村の元へと進む。
幸村の大きな目が更に開き、茶がよく見える。
小十郎は口角を上げた。


槍を横に薙ぎ、構えの向きを変える。
見慣れた鳶色が目の中に入り、幸村は腕を下ろす。
思わず、いつものように名前を呼んでしまった。
何故、という思いが頭によぎる。今まで小十郎から自分の元に来た事など、一度も無かった。
思わず固まっていると、小十郎がこちらへ近付いてくる。
幸村は頭が働かなかった。

小十郎が、笑った。

幸村は息を呑む。正面から笑顔を見たのは初めてだった。
小十郎が程近くまでやってくる。
幸村は自分より高い位置にある濃い茶の瞳から目が離せないでいた。
小十郎の表情が、苦笑に変化する。

「すまなかった。」

小十郎の言葉が、よく理解できなかった。幸村は首を傾げる。
小十郎は何が言いたいのか。
自分を追って、この鍛練場に来た。そして謝罪。
幸村は、はっとした。

「かっ片倉殿が謝られる事などありません!片倉殿が政宗殿を尊重なされるのは当然の事!某の方こそいつも邪魔ばかりしており・・・」

そこまで言って、幸村は俯いた。
そうだ、非があるのは自分だ。今まで小十郎が自分に時間を割いてくれていたのは、主が床に臥して動きようが無かったから。
幸村はそこにつけこんだと言ってもいい。小十郎は自分の我侭に付き合ってくれたのだ。

幸村は頭が上げられなかった。


「邪魔と思ったことは無え。」

思考に浸かる幸村を、小十郎が引き戻した。
小十郎の柔らかい声に、幸村が勢いよく頭を上げる。
零れ落ちんばかりに開かれた目に、小十郎がまた苦笑する。
幸村が、ぱくぱく、と口を動かしてから声を発する。

「ま、真で御座いますか?!」

幸村の言葉に、小十郎が頷く。
途端、幸村が顔いっぱいに喜色を浮かべる。
その様子に、小十郎もまた口元を綻ばせる。
小十郎を見て、幸村は一瞬固まった後、視線を彷徨わせる。
その頬が赤くなっていくのを見て、小十郎はまた苦笑する。
そんな小十郎を、ちらりと見て、幸村はついには俯いた。


耳まで赤く染まった幸村に、小十郎は苦笑を禁じえなかった。
これではまるで、以前受けた印象を裏打ちするようだ。
幸村自身は意識してやっているわけではないだろうが、勘違いする人間がいないとも限らない。
周りは指摘しないのだろうか。

―男を可愛いと思うときがくるとはな。

小十郎は思わず、幸村の茶色の頭に手を乗せた。


顔が熱くなるのを止められず、幸村は床から目を離せなかった。
こんなに赤面するのはいつ以来だろうか。

―何で、俺は

こんなに耳まで赤くしているのか。

―片倉殿が、笑うから

耐え切れなくなったのだ。

―何、を?

そこまで考えたところで、頭に重みが掛かった。


幸村の髪を、小十郎がわしゃわしゃとかき混ぜる。

「な?!か、片倉、殿?!」

幸村が逃げを打つが、小十郎は更に手に力を篭めて動きを封じる。

「お、お止め、くだされ!某は、子供では、ありませぬ!」

がしがしと強まった手の動きに、幸村は堪らず抗議する。
小十郎が声をたてて笑う。
幸村は驚きに顔を上げ、小十郎を見る。
小十郎はようやく幸村の頭から手をどける。

「いつも一人で鍛練してんのか?」

小十郎が突然振ってきた話題に、幸村は目を瞬かせる。

「は・・・あ、いえ、この館にいる間はお館様にお相手して頂くことがありますし、佐助がおるときは付き合わせておりますが・・・」

幸村はとりあえず小十郎の問いに答える。
小十郎はそうか、と言い、鍛練上を見渡す。一点で目を留めると、幸村から離れる。
幸村は思わず追おうとしたが、小十郎が手でそれを制する。幸村は所在無さげに立ち尽くす。
小十郎は鍛練上の隅に仕舞われていた木刀を手に取り、軽く振る。そして、幸村の元に戻ってくる。
幸村がきょとんとしていると、小十郎は木刀を構える。
そこまできて、幸村は小十郎の意図を汲み取る。幸村も二槍を構える。

数拍の沈黙の後、両者は同時に踏み込んだ。
蒼い火花と紅い火の粉が舞い散った。


ダンッ、と音を立てて、幸村が床に打ち付けられた。
小十郎は大きく息を吐き、構えを解いた。
幸村が二槍を握った拳を床につき、呻き声を上げながら身体を起こす。
小十郎が幸村に声を掛ける。

「そろそろ終いだ。大分暗くなってきた。」

その言葉に幸村が外を見る。日が傾き、窓から伸びる影が長くなっている。

「いつの間に!気付きませなんだ・・・。」

幸村は膝に手をつき、ようよう立ち上がる。小十郎は軽い足取りで木刀を元の位置に戻す。
その後姿を幸村はじっと見つめた。

その実力は目にしてはいたが、実際に手合わせをしてみて、幸村は小十郎の強さを実感した。
体格差からして力では敵わないと思った幸村は、とにかく手数を出した。
しかし、軽くいなされ、吹き飛ばされること数回。それでも喰らいつくが、終始押されっぱなしだった。

―真にお強い。

主を思う心、刀を振るう腕、どちらの強さにも幸村は感服する。
小十郎がこちらを見る。
幸村は、ぐっと身体を伸ばし、小十郎へと足を出した。

木刀を収め、小十郎は心地よい疲労感に息を吐く。
以前、主と刃を合わせているときに受けた印象のとおり、幸村は自分に真っ正直に向かってきた。
それだけに御しやすかったが、いくら弾いても幸村は直ぐに戻ってきた。その頑丈さに小十郎は内心舌を巻いた。

―持久戦に持ち込むとやっかいだな。

諦める事を知らず向かってくる、その根性に感心する。
振り返れば、幸村がこちらを見ている。
そして、近付いてくる幸村を、小十郎は待った。


幸村が小十郎の前に立ち、大きく頭を下げる。

「片倉殿!本日はお手合わせ頂き、忝のう御座いました!」

頭を上げ、幸村が満面の笑みを浮かべる。
小十郎が幸村を見下ろし、口元を緩める。

「俺でよけりゃ、いつでも付き合うぜ。」

小十郎の言葉に、幸村は目を輝かせる。

「真で御座いますか?!」
「ああ。次はもうちっと短いと助かるがな。」

苦笑する小十郎に、幸村は眉根を下げて頷く。

「はい!いつも長々と申し訳御座いません・・・。」
「いや、暇の無いときはそう言うから問題無え。」

幸村はまた顔いっぱいに笑みを浮かべる。
小十郎もまた、目を細める。
すると、幸村は視線を一度離し、顎を引いて目線だけで小十郎を見上げる。
小十郎は既視感を覚える。

「あの、片倉殿、まだ少しよろしいでしょうか・・・?」

幸村の控えめな申し出に、小十郎は頷く。
ぱっと表情を明るくし、幸村はその日の出来事を話し始める。
小十郎は時折合いの手をいれ、言葉を挟む。

空が朱に染まり、使用人が夕食を告げるまで、二人は話し合った。


小十郎は政宗に就寝前の挨拶を告げ、室を辞した。
主がニヤリと笑っていたのは、気付かないことにした。
あてがわれた室に戻り、床につく。直ぐに眠気が襲ってきた。

―明日からまた騒がしくなる。

小十郎は瞼に浮かぶ紅に、自然と口角を上げた。


幸村は信玄との夕食を終え、室に戻った。
配膳する佐助が憮然としていたが、気が付かなかった。
伸べられた布団に入るが、なかなか睡魔はやってこなかった。

―明日からは片倉殿と手合わせが出来る!

幸村は脳裏にひるがえる鳶色に、胸を躍らせた。


褐色の空の下、二人はそれぞれの時を過ごした。

褐色(かちいろ):濃い藍色。藍色の黒く見える程濃い色。
こじゅ、観念しました。ゆっきーはまだ気付かず。
連作は一応、これで区切りです。
この設定でもうちょっと書こうかな〜。



10.11.21

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