初めて合戦場で遇うた時の憶えは、実は、無い。
その男が幸村の見知ったは、ごく最近のことである。
幸村とて、名は聞き及んでいた。甲斐の武将としては当然の事である。
蒼き竜が右目であり、片時も傍を離れぬ忠臣。
内政に軍略に秀で、その上剣技も優れるという。
伝え聞く話は真であったな。信玄の言葉は耳に新しい。
さて、「見知った」という事は、「目にした」という事とは少し違う。
幸村が初めて彼の男を目にしたのは、奥州筆頭・伊達政宗と遭遇した合戦場で、という。
「という」のは、幸村がその事実を憶えていないからだ。
後に佐助に、あの場に居たよ?と言われたが、全く思い出せなかったのである。
何故かといえば、彼の男の主と刃を交える事に専心していたからに他ならない。
次に遇ったのは軍を率いて小田原城に向かう道中であった、という。
これも「という」のは、やはり彼の男の主ばかりに目がいっていたからであろう。
後に佐助に、・・・居たよ?と言われておぼろげながら思い出した程度である。
幸村が己が物覚えの悪さを後悔するのは、もう少し先のことである。
三度目に会ったのは、信玄の命により伊達軍が奥州へと戻るのを引き止めるためであった。
『政宗様!』
彼の男の声で最も古い記憶が、それであったと幸村は思う。
鳶色の陣羽織をまとった男が騎馬から飛び降り、政宗の銃創に気付くと、手早く処置を施した。
そして、気を失ったままの政宗を抱き上げた。
そう、その両腕でもって、抱き上げたのである。
担ぎ手を手配しようとしていた幸村は、面食らった。
身形からして位の高い武士であることは判ったが、まさか自らの手で奥州筆頭を運ぼうとは思いもしなかった。
後ろから佐助が、片倉小十郎だよ、と耳打ちをした。
「竜の右目」
すぐに思い浮かんだ通り名に得心した。なるほど、主の身体に直接触れる事が出来るほどの腹心であろう。
そう、幸村はこのとき初めて「片倉小十郎」を見知ったのである。
四度目に会ったのは、信玄と共に政宗の床を見舞ったときであった。
小十郎は落ち着いた態度で二人を迎えた。
幸村などは内心怪訝に思ったほど、小十郎の態度は確りとしたものであった。
それを佐助に言えば、なんたって竜の右目だからね、と分かるような分からないような答えが返ってきた。
―しかし、己が主が倒れたとあれば、多少なりとも心が揺らぐものではないのだろうか。
胸の内に湧き上がる思いに、幸村は館での室で中々休めないで居た。
庭から物音が聞こえたのは、どれほど経った頃だったろうか。
何気なく足を運べば、小十郎が刀を振るっていた。
その気が物悲しく感じられ、幸村は初めて小十郎が己を責めている事に思い至った。
―そうか、お館様が御身に降りかかったと思えば・・・!
なんと至らない事か・・・!自身の未熟さに怒りを覚えていれば、小十郎より声が掛かった。
咄嗟に口から出た言葉を、小十郎はなんと思ったのだろう。
初めて見る小十郎の闘いに、幸村は思わず眉をひそめた。
佐助の言うように一々正しい。しかし、己が好む清々堂々ではない。
だが、小十郎が政宗を止めたい、と言う思いは痛いほど伝わってきた。
倒れた主を見下ろす、その月のような眼から、目が離せなかった。
―疾く、疾く、行かねばならぬ・・・!
武田が家宝を背に負い、幸村は馬を急がせた。
ちょっと旦那!馬が持たないよ?!、そう佐助が叫んでいたが構っていられない。
急がねば、小十郎の身に何が降りかかるやも知れぬ。
政宗の身に降りかかった事のように。
―それは、嫌だ!
己が心の内に浮かび上がる、血に塗れた小十郎の姿を振り払うかのように、幸村は駆けた。
忍びである佐助が思わず鼻を塞ぐほどの毒を吸いながらも、小十郎は松永の元へと進んでいた。
鼓動が、逸る。
―待っていてくだされ、片倉殿!
長い階段を駆け上がりながら、幸村は声の限りに叫んだ。
届け!そして間に合え!そう念じながら。
その背を目にしたときに胸の内に広がった安堵を、幸村は忘れない。
大きな爆発に、体が吹っ飛び、地面に転がった。
何とか受身は取ったが、痛む体に幸村はとにかく顔を上げた。
その広い背、雷を纏う姿に目を奪われた。
先ほど政宗と相対したときとは、覇気が全く違う。
後ろから見た小十郎は、髪が乱れ目が据わっている。
―これが、片倉殿の本気。
思わず唾を飲み下す。信玄にも匹敵するほどの迫力に、幸村はただその背を見つめた。
小十郎が何事か唱えた。と、気が膨れ上がりバサラが発動する。
一撃。
その威力に幸村は息を呑んだ。
―強い。
背を向けたまま礼を言う小十郎に、何とか声を出せたのは自分でも上々だったと思う。
帰路、朝日を浴びながら歩を進める。
目の前には伊達軍の者たちと小十郎。
笑っている。
―眩しい、な。
幸村は目を細めた。その先には、小十郎が居る。
―なんと素晴らしき御仁よ。
その落ち着いた物腰、その身から発せられる力強さ。
―かくありたいものだ。
蒼き竜が右目であり、片時も傍を離れぬ忠臣。
内政に軍略に秀で、その上剣技も優れるという。
―俺はまだまだ未熟だ。
幸村は歩みながら、軽く目を閉じた。
瞼に浮かび上がる、雲の掛かった月に、知らず、笑みを浮かべた。
初ssでございます。いかがなものでしょうか・・・。
ゆきむらはこんな感じで憧れに似たものをこじゅに抱くと思うのです。
そして伊達軍が甲斐に逗留中に思いっきり懐きます(笑)
その話はまた書けたらと思います。今度はこじゅ視点かなー。
10.11.07
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